銃・病原菌・鉄③

 ③食料と発展

食料状況は人類の発展の歴史にかなり大きく関係する。

そもそも土壌として東西に延びて食料の多様性があることが発展の必要条件のようになっている。多くの栽培植物があり、家畜が存在することが疫病を生み、余剰食糧からの階層化大規模社会を生み、結果的に政治機構や文字、技術発達が起る。

また、適性のある野生種の存在も究極の要因として大きい。

・持つもの持たざるもの

そもそも農耕生活はどうやっておこったのか。農耕生活をしていた前例を見て、というわけにはいかない。また、急に農耕生活にうつったなんて勘違いはもってのほかである。段階的に狩猟生活である移動生活から、農耕生活、つまり定住へと移って行った。

例えばアメリカのアパッチインディアンは夏になると北野高地で定住しながら農耕生活を送り、冬になると南の低地で移動しながら狩猟採集生活を送るなどしていた。この感、決まったルートで野営地を移動させ、季節ごとに最適の牧草地の近辺に野営しながら家畜を飼育していた。その中で徐々にどのように土地を管理するかということがうまれていったのであった。

しかし食料生活へ促した大きな原因はある。それは以下の4点

1.入手可能な動物食料資源が減っていった。

これは気候変化や狩猟民の増加によると考えられている。

2.栽培可能な野生種が増えた。

3.食料生産技術の向上

4.人口の稠密化

 

・排泄場は栽培実験場

・ある地域で栽培されたのに、ある地域では栽培されなかった食物があるのは何故?

生産性がもたらす基軸の変化を文化や伝統が受け入れなかったから。つまりインディアン側が良い作物が来たから狩猟をいきなりやめる、みたいなことは伝統・文化があったからできなかった。

 

・家畜化された動物とそうでない動物

家畜化されない動物には6の理由がある。

1.餌(アステカやポリネシアは土壌が肥沃ではないため、餌が少なくてかつ雑食で済む犬を食用にしていた)

2.成長速度

3.繁殖上の問題(人間が衆人環視下でセックスしないように、家畜化すれば価値がありそうな動物のなかには檻の中で交尾しないやつがいた。例えばエジプト人やアッシリア人、近代ではインド人が足の速いチーターを飼いならし、家畜化しようと試みていたがチーターは檻の中では交尾しようとしないのだった。古代インカでは野生のピクーニャというラクダ(毛が上質)を家畜かしようとしていたが、ピクーニャの雄が他の雄と一緒にされることを極端に嫌い、なわばりを分けなくてはいけないという性質があり失敗していた。)

4.気性の問題(気性が荒くて捕まえられない)

5.パニックになりやすいか否か(檻にいれるとナイーヴだから死ぬ)

6.序列制のある集団を形成するか否か(犬が家畜化したのはこのため。猫は全くもたないが、ペットとして家畜化された珍しい種。)

 

 

銃・病原菌・鉄②

1.人類はどのように進化し分化したか

・人類の歴史はおよそ13000年前から始まった

・直立姿勢自体は400万年前からあった

・石器の使用は250万年前から

・5万年前ほどから装飾器などを使用するようになって現在の人類らしい形となる。

・場所によって複雑な道具や装飾などがリードされる場所があったり、なかったり。どの大陸であっても人類は発展することが出来るという可能性だけが分かっている。結果的にはユーラシアが一番発展したが、それはなぜか?

 

2.マオリ族とモリオリ族

1835年、ニュージーランドの東500マイルのチャタム諸島というポリネシアの島の一つにモリオリ族というのが住んでいたが、マオリ族に征服された。

主な原因はマオリ族が土壌が肥沃ではなく、狩猟民族になるしかなかったこと、一方のモリオリ族は土地に恵まれ、農耕が主であったことであった。

ポリネシアの島々は一つの例に過ぎないが、取り巻く環境が社会を形成するというのは良く分かる。

 

3.ピサロと皇帝アタワルパ

1532年にスペインの征服者ピサロがインカ皇帝アタワルパを捕虜としてとらえ、インカ抵抗を制圧した。

これの主な原因はヨーロッパのもつ、銃・病原菌・鉄への知識。

ではなぜ、ヨーロッパ人は銃・病原菌・鉄への知識を持つようになったのだろうか。

銃・病原菌・鉄①

銃・病原菌・鉄というとんでもなく根気のいりそうな本を積読してたので、やっと読み始めることにする。(ちなみに一回読んだけど全部忘れた)

備忘録程度にまとめていく。

 

パプアニューギニアの政治家「ヤリ」の疑問

何故白人はたくさんのものを発達させてきたが、自分たちパプアニューギニア人には自分たちオリジナルのものというものがないのだろうか?

つまり、先進的な生活を何故白人が獲得するに至ったかという話。

これに対する良くある論と反駁。

 

・人種の優劣があるのでは?

ない。そもそも人種の優劣があればこちらがいくら、先進的な技術を運んでも使えないだろう。またIQテストなどで測るのは言語道断。あれは文化的な学習能力を測るものだから。

 

・白人が住んでたところは寒いから、生存のために様々な諸技術が発達した?

NO。帝国や文字といったものが得次プロのナイル渓谷や肥沃三日月地帯のチグリス・ユーフラテス渓谷でもっとも初期にできた。他インダス渓谷、中国黄河マヤ文明など気温はあんまり関係なさそう。

 

ヤリの疑問を解決する決定的な論はないが、直接の要因はわかっている。それは銃や病原菌、鉄をはじめとする技術、政治力や経済力の向上をもたらす技術をある民族は他の民族より先に発達させ、ある民族はまったく発達させることが無かった。青銅器はユーラシア大陸でごく初期にできたが、アボリジニが青銅器をもつことはなかった。それはなぜか。それを解決するのが本書。

 

 

最近のプチ疑問集

最近疑問に思ったことと、その答え

1.なぜトルコアイスは伸びるのか

成分に何かの球根を使ってるらしく、その球根に澱粉がたくさん含まれているから。澱粉は熱で粘性が出る。

2.活版印刷の歴史

木版印刷は唐で8世紀ごろはじまった

活版印刷はかなり前からあったが、アジア圏は漢字があったりと、とにかく文字数が多いので流行らず木版が主流。現代的な活版印刷は15世紀ドイツのグーテンベルクが発明。アルファベットは26字しかないので楽だった模様。日本ではしばらく木版印刷が主流で、19世紀終わり頃ようやく西洋式の本が受け入れられた。

3.エビはカニなのか?

分類学的には甲殻網エビ目長尾類(エビ)と短尾類(カニ)の違いなのでほぼカニはエビ?

数学史1

本当にひさびさの更新をする.

数学史の授業が始まったので,ちょっとまとめてみる.人生でとる最後の授業になるんだろうなあ〜.

 

数学史の概略

概ねの流れとしては1.バビロニア,2.ギリシャ,3.アラビア,4.ラテン中世,5.ルネッサンス,6.17世紀の代数化と微積分,7.フランス革命

と行った感じらしい.ほとんど中東とヨーロッパのみで興ったのが数学だそうだ.

数学史を学ぶ上で重要なことは「その人の考えに立ち戻る」というところらしく,今の数学を全く使わないというのがミソだそうだ.例えば古代ギリシャの自由7科(3学:文法学,修辞学,論理学と4科:幾何,算術(数とは何ぞ,みたいな話),天文学,音楽)といったように数学に代数という概念はなかった.なので,古代バビロニアやアラビアの人らは2次方程式を解く事は出来たが,決して代数的に行っていたわけではない.

 

たとえば,

「x^2 - x = 870においてxについて解け」

という問題.これは古代ではこんな問題に立ち代わる.

「正方形の面積から一辺分の面積を引いたら870になる.さて一辺の長さは?」

そして古代バビロニアの人なりの幾何的な解法がある.(ブログなので割愛)

後から見てみればこれは平方完成と一致している.

そんな話が実はルネサンスまでつづいており,かの有名なカルダノも実は幾何操作で3次方程式を解いていた.(よく中学高校の教科書のコラムにカルダノの算法がかいてあるがあれは嘘っぱちらしい.)

他にも数学というのはそもそも古代ギリシャでは証明だけではなく,発見法(仏教でいう八万四千の法)という括りがあり,証明だけでなく様々なケーススタディを残した応用数学みたいなものもあったらしい.これを解析法と呼ぶが,ドキュメントはほとんど消滅してしまったそうだ.

 

おわり

世界像の哲学的アプローチのメモ3

一応昨日までで世界像、世界観に関してはマルクス主義、構造主義まで来たと思うので、今日はポスト構造主義

 

 

デリダ脱構築

かっこよくいうとデコンストラクション

客観の理念そのものがある側面での現実を意味している。よって世界は人間がどうそれに向き合うかという観点によって常に限定されるし、またいくらでも想像できる。つまり超越的なものなどは存在しない。記号論的なシニフィエシニフィアンみたいな言葉に対して意味があるなんていうのは結局のところ意味を超越論的な「意味されるもの」と見做しているだけで過去のマルクス主義とかと本質は変わらない。結局解釈次第なのだから言葉ー意味とか現実ー認識みたいな楔は脱=構築しなくてはならない。

こういった超越的存在の不在を「戯れ」という。(かっこよすぎ)

 

・現在のポスト構造主義的テクスト

言葉の本質は「世界を写し取る」ではなく、言葉の世界を編むことによってエロス性を創りだすこと。言葉は現実認識の道具ではなく、美やエロスをつくりあげる素材。

 

ボードリヤールの象徴交換と死

ボードリヤールはちょっと難しい。おそらくなのだが要点は以下の通り。

1.マルクス主義は自己崩壊したが、資本主義は自己崩壊しない。これは社会を変えようという契機がないからである。

2.人は飢え死ぬというときにこそ交換不可能な欲望(超越的な存在)を持つが、現代ではその状況はないと仮定。(戯れ状態)

3.結局のところ戯れの欲望というのは超越的な価値はなく、何かのコピーのような欲望であり、その欲望というのは社会のシステムの要因として動く「閉じられた円環(シミュレーション、シミュラークル)」であるのだから、この完璧な閉鎖性ゆえに資本主義は崩壊しない。

4.人間は社会というシステムのうちにあって、生きる上で必要なものの一切を一方的にシステムから与えられている(欲望も含め)。人間が働いて子ども生んで死ぬのはシステムによる「延期された死」という贈与である。人間が社会の歯車になるのはこの贈与へのお返しに過ぎない。もしも誰かが反体制的なことをしたとしてもシミュラークルな状態では吸収されるだけ。システムをぶっこわしたければシステムが返礼できないような贈与を人間の側がシステムに与えることである。これは延期されない直接的な死(そもそも贈与を受けない)である。ここで死とは象徴的な存在。

結局言いたいのは資本主義っていうのは今の人間の欲望ごときじゃ絶対ぶっ壊れないシステムっていうことっぽい。(ちがう?)

今日はここまで。

 

おわり

世界像の哲学的アプローチのメモ2

さっきのつづき

 

・「ポストモダン的」の使い方

結局のところ世界像の哲学的アプローチというのは過去にはデカルトカントーヘーゲルマルクスという大きな流れが個人単位の流れとして存在。一時はマルクス主義という世界的な思想形態が流行ったが戦後にはレイヤーがひとつ上の段階へ行ったために廃れた。そこで構造主義という新しい方法論をもって世界や文化について哲学的な新しいアプローチがはじまった。具体的には象徴世界と具体世界の分離や意味や無意識というものを使うことで、いままでの実存主義現象学を打ち破るものだった。

しかし結局のところ何がその構造をもたらし、何がその構造を動かすのかという最深部までは構造主義では語ることはできなかった。

ポスト構造主義ポストモダンはもう一つニーチェからの流れを汲んだアプローチのひとつ。フーコーデリダドゥルーズなど。これらの人のポスト構造主義は同体系の思想ではない。ただし共通認識としては構造主義記号論の方法上の内在的限界に目を向けてそれを乗り越えようとする思考そのものである。構造主義現象学も結局客観の可能性を捨てきれていないから行き詰った。ツメがあまかった。ここでは客観≒普遍的でいいのかな?

ポスト構造主義のテーゼは反人間中心、反欧米主義など。

ニーチェについてまとめる。

1.キリスト教の道徳思想の起源は何かという系譜学がある。ニーチェ曰く、これの起源は支配された弱者たちが現実のみじめさを心理的に打ち消そうとして作り上げた「禁欲主義的理想」。その本質はルサンチマン

2.ルサンチマンから発生した思想は現実を仮象の世界とし、その背後に真の世界があると考える。「客観的認識」「普遍的認識」への思想はこういった真の世界が存在するという考えから来ている。(古くはプラトンも同じ?)しかしそういったものはあり得なく、客観的認識や普遍的認識はあり得ない。どんな観点も「解釈」にすぎない。(相対主義に近い)

3.真の世界を見出そうとする認識はその極限で心理や客観など絶対に存在しないことを見出すに至る。これがニヒリズムの働き。人間の社会や存在に意味や価値を与える超越的な存在はどこにもないという確信である。(それはその通り。ラカンのアプローチはこれを無意識とオイディプス性で説明しようとしていた?)

4.重要なのはニヒリズムを隠ぺいするためになんらかの価値の根拠を取り戻そうとすることではなくて、ニヒリズムを貫き通すこと。

5.それはなんらかの価値を発見するのではなく、新しい価値の秩序をつくりだすことである。生の力の享受を否定するルサンチマンから現れた価値の代わりに能動的肯定的な力をどこまでも高揚させていくような価値基準こそが新しい価値である。これを「逆の価値定立」という。

 

この考えが主となり普遍性から抜け出し、脱構築などの議論へ向かう。

一応今回の「ポストモダンの使い方」という意味では、普遍論や客観などを追求した後の時代がポストモダン・ポスト構造主義であり、ポストモダン的とは「これこそが珠玉、至高」みたいなある意味の価値定立のことかな~?

現代のポストモダン的産物といえばAppleの製品とかだと思われる。

 

おわり