絶対覚えるフランス革命

そう、僕は世界史を知らない!

だからせめてフランス革命だけでも覚えたい。そう思ってまとめます。

 

絶対覚えるフランス革命

 

参考にするサイトはここ。なんて親切なサイトなんだろう…

でもいささか長い。受験生にはいいかもしれないが、このフランス革命に関する項4つを読破し、かつ全部覚えるのは無理…。よってできるだけ手短かにフランス革命をまとめようと思う。

 

「我らのあとに洪水はきたれ」−ポンパドゥール夫人

アンシャン・レジーム体制下のフランスでは、偉い順に聖職者、貴族、平民という3つの階級があった。大富豪で言えば大富豪、富豪、大貧民みたいなもの。2とかエースとか引いてもそれぞれに2枚,1枚最初にとられて、5とか6とか本気でどうでも良いのを渡されてしまうパターン。それぐらいに貧民は苦労していた。一生勝てないこのゲーム、つらみしかなかった。

そんなさなかポンパドゥール夫人はこの台詞を言った。「我らのあとに洪水はきたれ」

これを深読みすると「ノアの箱船の話みたいに、いつか私たち神の鉄槌喰らいそうな豪華絢爛な生活してるけど、神の鉄槌は私たちが死んでからにしてね」みたいなことらしい。つらい。とにかくそんな時代。だけどあまりにも甘美な生活をしすぎていた彼らに対する疑念も結構増えていた。

 

啓蒙思想

ルソー(社会契約説の人)とかヴォルテールとかが流行らせた。

アメリカ独立戦争

イギリスからアメリカが独立した戦争(そのまま)

 

啓蒙思想アメリカ独立戦争の影響もあり、頽廃の限りを尽くしていたフランス貴族の中にもそれなりに「これ、わしら時代遅れなんでね?やばくね?」みたいな人がでてくる。実はさっきのポンパドゥール夫人もその1人。

その最中に、シェイエスという僧侶が「第三身分とは何か」という訴えをおこし、これが起爆剤になってフランス革命は始まる。

 

ちょうどその頃、宮殿の中では事件が起きていた。それは増税をどうするかという問題である。平民からは搾りに搾り取ってた税金をさらに課す訳にはいかないし、でも貴族とか聖職者から税金をとるのも気が引けるし…と悩むのは当時のフランス国王ルイ16世

一応三部会を開いて議決をとってみるけど、平民ごときにぶいぶい言わせたくねえと思った彼は煮え切らず、平民たちは激怒、三部会とは違う「国民議会」なるものを結成する。

国民議会には少なからずアンシャンレジームに疑問を持つ自由主義貴族たちも参加した。

こうして国民議会は大きくなっていくがルイ16世はさっそくこれを軍事を用いてつぶそうとする。この動きに対して国民たちは蜂起したのであった。

パリ市民は国民議会やパリ市民を守る為に軍隊を編制し、まずは武器を奪う為にバスティーユ牢獄にある武器庫を襲撃。これは7月14日のことだった。これをバスティーユ牢獄襲撃とかいうらしい(そのまま過ぎィ)

市民軍のリーダーはラファイエットといって、アメリカの独立戦争に関わっていた新大陸の英雄とよばれるフランス国民に大人気の人だった。現在のフランスの国旗が作られたのもこのころ。フランスの三色旗は実はパリのカラーである赤と青に、王家であるブルボン家のカラーの白を加えたものであった。何故白を入れたかというと、フランス市民の中では「王様はそんなに悪いやつじゃない。悪いのはマリーアントワネットとか一部のクソ贅沢してる貴族」という認識があったからだそうだ。

このパリでの動きが地方にも伝播し、農民も蜂起、領主の館を襲撃など、各地で一揆がはじまったのであった。8月4日、国民議会は「封建的特権の廃止」を宣言した。身分制度と領主制をなくすということ。8月26日には「人権宣言」も発表した。第一条「人間は、生まれながらにして、自由であり、権利において平等である。社会的な差別は、共同の利益に基づく場合にしかもうけられることができない」はラファイエットの言葉であった。

 

ヴェルサイユ行進

あ、これ聞いた事ある!

国王や貴族が住んでいる地区がヴェルサイユというところで、パリからおよそ20kmぐらい北西にあるところ。当時ヴェルサイユの地下には大量の食料があるという噂が流れており、反乱を成功させて味を占めた平民たちがヴェルサイユに大砲やらなんやら物騒なものをもって「パンをよこせ」とはるばるヴェルサイユまでやってきたのだった。ルイ16世もこれにはびっくり。しかもそのあと脅されまくって先の人権宣言も認め、「ヴェルサイユなんかに住んでるからテメーら腐ってくんだよ、平民の街パリへこいや」という勧誘にも負け、結局パリに住まわされることになる。

 

ヴァレンヌ逃亡事件

これは聞いた事ない…

しばらくの間ルイ16世も大人しくして、フランス革命も終わりかけていたとき、マリーアントワネットの愛人を介してルイ16世はオーストリアへ逃亡しようとした。しかし当時は馬車だったのにも関わらずルイ16世ったらアホなもんだからワインとかたくさん積んじゃう→馬疲れる→時間かかる→その辺の市民に見つかる、の見事なプレーをみせ逃亡は失敗に終わる。

これをもってルイ16世は国民の信用を完全に失うが、当時オーストリアプロイセンから「ピルニッツ宣言」という「王の身になにかあったらお前らに戦争しかけます」的な脅しを受けていたので何も出来ず、とりあえず王は宮殿へ再び幽閉。

 

8月10日事件

国民議会の中ではフイヤン派ジロンド派という派閥があった。ジロンド派は共和制を目指そうというところ。こんなのが今のフランスを支配してるものだから近辺の諸外国はたまったもんじゃない。特にオーストリアとかプロイセンは自国でも王の力が弱まったりしたら嫌なもんだからピルニッツ宣言みたいな脅しをかけてみたりしていた。しかし最終的にはもう我慢出来ないと戦争がはじまる。

この戦争でフランスは大敗する。最初はベルギー国境で戦っていたが、徐々にプロイセン軍がパリにまで近づいてくる。この間にマリーアントワネットがフランス軍の作戦を漏洩させたり、ルイ16世がわざと負けるように指揮官に指示したり、戦争自体はもうグダグダ。フランス国民も何がなんだかわからないがとりあえず革命と市民だけは守りたいという状態まで陥る。パリに迫る軍隊を前にフランス全土から義勇軍を呼び寄せる。ちなみにマルセイユからやってきた義勇軍が謳っていた曲「ラ=マルセイエーズ」が今のフランス国家になった。

ラファイエットとかもなぜか失墜してるし、もうとにかくフランス側はパニック状態。とりあえず王家は全員塔に幽閉した。これが8月10日事件。

 

ヴァルミーの戦い

プロイセン軍VS義勇軍のこと。義勇軍がめっちゃ「ラ=マルセイエーズ」を謳ってるものだから不気味におもってみんな退却。なんと義勇軍勝ってしまう。

 

これで一応落ち着き、ルイ16世の処遇をどうするかという問題が残る。

結局議会による議論の結果死刑に。マリーアントワネットも同様。ギロチンにかけられた。

 

しかしこの死刑がやはり諸外国に大きな動揺を与えた。「国民が王を死刑」など考えられないことだったのだ。対仏大同盟とかいうイギリス、ロシア、オーストリアプロイセン、スペイン、オランダが参加している「フランスぶっつぶしてやろうぜ」というヤバい血気盛んな同盟も誕生した。これにはフランス人も焦る焦る。そのころ議会はジロンド派ジャコバン派の2派閥があったが、ロベスピエール率いる急進派のジャコバン派が議会を掌握し、ジャコバン派独裁が始まったのだった。

 

テルミドールの反動

フランス国民もスピードが求められる今、独裁政治を否定はしなかった。しかしロベスピエールは対立するものをどんどん処刑していってしまったので、独裁政治どころか恐怖政治になっていってしまった。やりすぎたロベスピエールは反ジャコバン派によって逮捕、処刑されてしまう。

 

これで一応フランス革命はおしまい。

 

この後フランスはジロンド派によって運営がなされていくが、この政府にも新たなリーダーが求められた。それがナポレオンだったそうだ。

 

おわり