世界像の哲学的アプローチのメモ1

現代思想の冒険を読み直しているのでせっかくだから覚える.

 

・戦後思想の推移について

戦後民主主義、戦後マルクス主義の勃発.

戦後の民主主義教育によって与えられた自由な個人理念と,現実社会が結び上げる経済社会の秩序とのずれが由来.教育制度のレールにのって経済社会の担い手となるだけな環境が遅れてきたプロレタリア革命(むしろ資本主義にさせまいとした?)を引き起こした.経済発展を第一とする大衆社会そのものに向けられた.

この二つの思想の没落は2つ理由がある.

1.思想のかたちとして古くなったこと,民衆が社会の変革をめざしていないことに起因.

2.マルクス主義的な侵略・戦争がなかった.

1.について

人間の持つ欲望が直接生活に必要な衣食住の欲求から商品イメージの消費へと移っていった.(ボードリヤール)この現実は資本主義を少数の富のあるものと,多数の貧困層を生み続けるとするマルクス主義とは大きく食い違った.現代社会の欲求のステージは消費という先端的エロスイメージになる.

2.について

マルクス主義では本来資本家と労働者が対立する資本主義国家において自然な形で理性的に闘争が起きるとしたが,現実の社会主義国家による戦争,中ソ紛争、中国ベトナム戦争ベトナムカンボジア戦争,ソ連アフガニスタン侵略・ポーランド弾圧がそれとは全く異質のものであった.それによって世界思想は混迷した.

 

 

構造主義の発達

ソシュール記号論からアイデアを得てレヴィ・ストロースによって構造主義という世界観に対する方法論が生まれる.

ラカン・・・構造主義精神分析の人.人間の意識,無意識の構造は生理ー本能ー意識とは全く別の構造をもつとした.人間は本能がぶっこわれている.だが,社会に生まれてくるためオイディプス関係が一定の方向へ人間を秩序付け,このプロセスは人間の無意識の中で生まれ、社会的な言葉の秩序をもたらす.

フッサールのいう「内在としての絶対性を認める」現象学とは相対している.現象学は「自覚」だが,ラカンのほうは「無意識」

 

ロラン・バルト・・・デノテーションコノテーションの人.デノテーション「明示的な意味」,コノテーション「内在的意味」.人間はデノテーションから無意識のうちにコノテーションの世界まで飛ばされている(神話作用).(例;エキゾチックジャパン→「日本はすばらしい」)

 

ソシュール記号論もまあだいたい同じ

 

つづく

ホッブズ1

なんとなく調べた

 

ホッブズ1(2があるかはわからない)

 

以下もう色んなところから引用しながら書きます.

 

ホッブズ概略

ホッブスはイギリスの哲学者で近代国家論の創始者.ロックやルソーの社会契約説にも大きな影響を与える.

本人は貴族をパトロンとして生計を立てていたそうだ(うらやましい)

ピューリタン革命を逃れ,パリに亡命し,その後54歳のときパリで出版した「市民論」(1642年)が哲学者としての処女作になる.63歳のとき、主著「リヴァイアサン」(1651年)を出版.

 

リヴァイアサンが書かれた歴史的な背景.

中世の封建社会が崩れて君主の専制支配に依存する絶対主義国家が誕生し,この統治形態を支える理論が王権神授説(君主の絶対的な権力は,創造主より授けられたものであるとされる理論)だった.

しかし,こんなので不満がつもらないわけがなく,市民の勢力が次第に増加.17-18世紀にかけて、社会契約説があらわれる.これは、個人が互いの権利を保持するために結んだ契約によって国家が成立するというもの.この前提として、社会契約がなされる前提の条件が必要である.こういった社会契約説の主要な思想家としてはホッブス,ロック,ルソーの3人がいる.それぞれの違いは結局人間の本性をどうとらえるかであり,それに連なり自然状態とは何かを定義した.社会契約の中身と政府のあり方も結構違った.

 

ホッブズのいう人間の本性

 人間は、生まれてから死に至るまで生命活動をし続ける運動体であり、この運動の継続(自己保存)こそが人間にとっての最高の価値である.

コレに尽きるらしい.自然状態において各人は自己保存の権利(自己保存のためには何をしてもよい無制限の自由)をもっている.したがって,自然状態は「such a war as is of every man against every man.(万人の万人に対する闘争)」なのである!

人々は絶えない恐怖と暴力による死の危険に脅かされている.この状態を止めるには、各人が自己の権利(自由)の一部を譲り渡す必要がある.ここで呼び出されるのが、「リヴァイアサン」である.

 

「私はみずからを統治する権利を,この人間または人間の合議体に完全に譲渡することを,つぎの条件のもとに認める.その条件とは,きみもきみの権利を譲渡し,彼のすべての活動を承認することだ.」

これが達成され,多数の人々が一個の人格に結合統一されたとき,共通の利益=国家の誕生である.そして同時に大怪物リヴァイアサンも誕生する.

 

リヴァイアサン

リヴァイアサンは,旧約聖書ヨブ記」に出てくる「地上に比較されうる何ものもなく、恐れを知らぬように創られた」巨大な海の怪獣である.ここでは、全成員の意志を代表する主権者としての国家であり,平和を維持するために絶対的な権力をもつ.

ホッブズは社会契約によって国家をつくり,国家が国家としての主権者や法(ここがリヴァイアサン)に従うことで平和が確立されると説いた.主権者が存在する唯一の目的は,国民の平和と安全であり,その目的に反するいかなることをなす権限も,主権者には与えられていないのである!

著書「リヴァイアサン」の口絵には,巨人が描かれている.この巨人は、よく見ると、小さく描かれた無数の人間が寄り集まってできており,リヴァイアサンは体は人民,頭は主権者でできた国家という《怪物》であることの暗喩であった.

 

つまり

ホッブズは革命の時代にひとりの主権者による支配(≒絶対王政)を正当化した保守派のイデオロギーのように見えるが,それは実際は誤りであり,もっと一般的な話をしていた.「リヴァイアサン」は1649年イングランドでチャールズ1世が処刑され共和国が樹立されたのを受けて書かれたものである.ホッブズは共和政の支持者でも王政の支持者でもなかった.そのためホッブズは、議会派・王党派の両派から受け入れられ,また危険視されていたそうだ.ホッブズにとって重要だったのは,なんでもいいからとにかくヤバい強い権力であるリヴァイアサンであった.

 

ある意味今の世界が核武装してるのと一緒.闘争状態を核というリヴァイアサンのもとおさめてる的な?ちょっと違うか. 

 

おわり

 

ギリシャ神話マンその3

今日はプロメテウスの話。

プロメテウスはイアペトスとクリュメネの間にできた子供。兄弟にアトラス、エピメテウス、メノイティオスがいる。

プロメテウスの偉業のひとつは人間に火を与えたというストーリーである。よく寓話として用いられる。

昨日の分からはだいぶ話がとぶが、ゼウスなどが誕生していてオリンポスの神々の統治がすでにはじまっているときの話である。ゼウスの権力はますます強大になり、地上では人間も溢れていた。

そんなある日、人間と神々は「神々に献上する生贄」のことで言い争いをしていた。膠着する議論に見かねてプロメテウスは調停にはいった。プロメテウスはどっちかというと人間推しの神様なので「ここは任せろ」と言わんばかりにゼウスの前に牛を献上する。ただし、ここでゼウスに選択肢を迫る。「中身は肉や臓物だが胃で包まれた汚らしいもの」と「中身は骨だが脂肪でくるまれたきれいなもの」のどちらかである。どちらかを人間からの献上物として受け取れとゼウスに選ばせたのだ。もちろんゼウスは綺麗なほうを選ぶわけだが、中身は骨なのだから大激怒。

ゼウスは怒って「神々の取り分である骨は食べられないが腐ることはない。だが人間の取り分である肉や臓物は時がたてば朽ち果てる。お前らが肉を選択したということは、お前らも肉と共に運命を背負うのだ」と人間に運命を背負わせる。(ゼウスが選択したのに…)

そして人間は「老い」という運命を背負うことになる。

また、命に限りのある人間に疲れ知らずの火を与えるわけにはいかんと火も奪ってしまう。

これには人間も困惑、人口どんどん減少、やばい状況に。

可哀想に感じたプロメテウスがゼウスの目を盗んで火を人間たちに与えた。

これによってゼウスはさらに激怒!プロメテウスをカウカソスの高山に磔にする。

そしてプロメテウスは毎日そこに住む大鷲に肝臓を食べられるという処刑にあう。神なので死なないし肝臓は再生するが、痛覚は人間と同じ。毎日苦しむことになった。

だが、プロメテウスはその名の通り「先見の神」であるのでこの先のこともお見通しだったのだろう、ゼウスが彼を解放しなくてはならない運命をしっていたのだ。

それもそのはずプロメテウスはゼウスの運命をすでに先見していたのであった…!

 

今日はここまで

だんだんジャンプ漫画みたいになってきた。

 

おわり

ギリシャ神話マンその2

さて昨日はクロノスがガイアと手を組んでウラノスをぶったおしたところまできた。

今日はその後のクロノスが率いたタイタン一族(ないしはクロノス一族)がどう展開していったかについてまとめる。

タイタン一族はもともとはガイアとウラノスの子供たちであった。

ガイアとウラノス子どもたちはこんな感じ。

クロノス…ガイアと共謀してウラノスのち●こぶった切った人。

レア…クロノスの妻。クロノスとの子供がゼウスとかポセイドンとかハデス。

コイオス…クロノスの弟になるのかな?

ポイベ…コイオスの妻。アポロンやアルテミスの祖母であり、子供はレト。

ヒュペリオン…テイアを妻として天空神たちを生む。天空の源の神。

イアペトス…オケアノスとテテュスの娘であるクリュメネ(読みづらい)を妻としてアトラス、プロメテウス、エピメテウス、メノイティオスを生む。

オケアノス…大洋の神という説明を昨日もしたが、当時は世界は陸続きと考えられており、海は世界を囲むものだった。よって認識的には地の果ての神。それゆえにエリュシオンの園とかゴルゴンのすみかなどのおとぎ話的な国は全てこのオケアノスあたりに想定された。

テテュス…オケアノスの妻。

あとキュクプロスヘカトンケイレスたち。

ガイアとウラノスだけでも十分子だくさん!!そしてついにプロメテウスが出てきた。つまりはガイアとウラノスの孫にあたるわけですね。

この神々たちは世の森羅万象の神となっていくわけで、ある種日本の八百万の神に近いものがある。これらのタイタン一族からどんどん子供たちは展開していくわけである。その中の一人かっこいい名前をもったヘリオスを紹介しておく。

 

太陽神ヘリオスヒュペリオンの子供で「月のセレーネ」「曙のエオス」の三人兄妹の一角。結構ややこしい話の大元となる人物。ヘリオスの子供に魔女キルケがいて、オデュッセイアに登場する。またキルケの妹でヘリオスの次女パシパエクレタ島伝説のミノタウルスの母となる存在。

 

今日はここまで。明日はプロメテウスの話。

 

おわり

 

 

ギリシャ神話マンその1

先日「プロメテウス」というクソ映画を運悪く再び見ることになってしまった。ブレードランナー作った人がこんなのつくっちゃったの?と驚きを隠せないようなクソ映画なわけだが、タイトルのプロメテウスがちょっと気になった。

プロメテウスってなんだろうと調べてみるとどうやらギリシャ神話の神の模様。

というわけで今回はギリシャ神話マン1ということで今後もしかしたら120回ぐらいにわたってギリシャ神話について調べるかもしれないのでその足がかりを作りたいと思う。

 

ギリシャ神話マンその1

ちなみに最初の神話作家はヘシオドスという人間。

よってギリシャ神話はヘシオドス曰く…の話となる。

 

むかしむかし世の中はカオス(混沌)で満ちていた。

カオスからなぜか急に大地の神ガイアが生まれた。ついでに無間の神タルタロス、愛の神エロスが生まれた。後に夜の神ニュクスと暗黒の神エレボスが生まれた。

無間の神ってなんだと思う方も多いと思うが、当時は生成の事象に神がいるように消滅も神の仕業だった。そういう意味で消滅の神タルタロスだったようだ(かっこよすぎ)

次にエレボスからアイテル(空気の神)とヘメレ(昼の神)が生まれる。またニュクスは単性生殖(分身)で宿命のケール、死のタナトス、眠りのヒュプノス、夢のオネイロス、運命のモロス、不平のモモス、応報のネメシス、痛みのオイジュス、不和のエリス、老いのゲラス、3人の運命の女神モイラたち…他多数を次々に生んでいく。このニュクスから生まれた子供たちは擬人神と呼ばれ、人間の感情や身に怒る災いを具象化したもの。使い方は「笑いの神がふってきた!」と同じでヒュプノス降ってきた(超眠い)」「腹にオイジュスきた(お腹痛い)」「山手線にタナトス(人身事故)」そんな感じで良いらしい。

一方ガイアからは天であるウラノスが生まれる。これも単性生殖のため、分身みたいなもの。さらにガイアは山々(名前なし)、海原ポントスを生む。

さらに、ガイアと天ウラノスが近親相姦して子供を産む。最初に生まれたのがホメロス叙事詩で「神々の祖」といわれた大洋オケアノス。その後もいろんな神を生む。これらの一族はタイタン一族もしくはクロノス一族と呼ばれる。クロノス一族と呼ばれるようになるのはこのガイアと天ウラノスの間にできたクロノスというのが神々の主神となるからである。さらに一つ目巨人のキュクロプス兄弟、百手の神ヘカトンケイレス兄弟などを生む。

とりあえずここまでが出生の物語。ゼウスとかはまだしばらくでてこない。

話を進めると、このあとウラノスはヘカトンケイレスを憎み始める。(どうやら見た目のイカツさに嫉妬したらしい)

ウラノスはヘカトンケイレスをガイアの奥底に押し込めるが、ガイアがこれに対して怒る。(奥底に押し込められたのが痛かったらしい)ガイアが息子たちにウラノスをぶっ殺すように申し出て、クロノスがこれを引き受ける。こうしてクロノスはウラノスのち●こをぶった切る。ウラノスはクロノスにもちろん怒って呪いをかける。

一方このウラノスのち●こから出てきたあふれ出る血がガイアに受け止められて、復習の女神エリニュスと巨大なギガンテス、トネリコの精メリアイが生まれる。

さらに切り取られた本体の方は海に投げられて、それがなぜか美の女神アフロディテになる。

アフロディテはそのまま海を放流し、キュプロス島に上陸する。するとそこには原初の神であった愛の神エロスがアフロディテの従者になるべく欲望ヒメロスと一緒に待っていた!この時以来エロスはすっかり若者の姿になっていた。ちなみにエロスはどんどん若返り、ローマ時代にはキューピッド(赤ん坊)にまでなってしまう。

この3人、アフロディテ(美)・エロス(恋)・ヒメロス(欲望)が三位一体で行動することで世の中の男性は性欲にかられるようになってしまったのであった。

とりあえず今日はここまで。こんど時間があったら家系図作る。

 

おわり

 

仏教INTRODUCTION

 仏教INTRODUCTION

 

仏教の特質について述べる.仏教の特質のひとつにお経や経典を通して自分自身が仏になることが最終目標にあるところがあげられる.つまり,キリスト教イスラム教では神を信仰し,人々と神の間には圧倒的な隔絶があったが,仏教では人も神(仏)にならんとするのである!

また他の特質として挙げられるのは形而上学的問題には答えないという点にある.世界の創造や,死後の世界,霊魂などについては無記として答えない.そういったことを考えるのは現実の問題を解決する根本ではないとし,近くできる範囲で今の目の前の問題を解決しようとした.そしてその問題には様々な因果があると考え,縁起を重んじていた.このことから仏教はキリスト教イスラム教と違い,創造主を立てない宗教でもあった.

さらに仏教には諸説の共存多様性・包容性という特質がある.キリスト教イスラム教にはグノーシス派のように異端として弾圧されるものもあったが,仏教では絶対的な教えというものは存在せず,たとえ異説であっても寛容であった.むしろ,他の宗教との結び付きも強く,盂蘭盆に象徴されるように儒教を吸収したような形のものも存在する.(現在のお盆の風習は元は仏教のものではない.)

こういった多様性は,やはり先の形而上学的問題には無記とする点からきている.つまり苦の克服のために,根本を見つめなおすのではなく,現実問題としてありとあらゆる対処法としての対機説法応病予与薬という概念を発展させてきた宗教だからこその多様性なのである.

これは八万四千の法則ともよばれ,それほどに仏教には諸説があるのだ.ケースバイケースの教えから多様化したということだ.実際に,仏教は小乗仏教大乗仏教という大きなカテゴライズが存在したり,経典宗教であるにも関わらずインドには1700,日本中国朝鮮で3000もの仏典が存在し,きちっとした経典が定められていなかったりと,非常に多様性に富んだ一面がうかがえる.

 

仏教も結構面白いんだよな.

今日はここまで

 

おわり

ラファエル前派ってなに

六本木ヒルズに位置する森美術館は芸術を知らない僕でさえ気軽に足を運べる美術館です.結構前衛的な展覧会が多く,はじめていった時やってたのは小谷元彦さんの「幽体の知覚」とかいうマキジチ前衛的な作品展みたいなやつだった.

お値段2000円ぐらいで東京の夜景を一望でき、美術を楽しめ、ときどきスカイアクアリウムとかプラネタリウムとかやってるのでなかなかおすすめのスポットである.

そんな森美術館と同じ場所に位置する森アーツセンターギャラリーが1月からラファエル前派展なるものをやるらしい.

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ラファエル前派って何だ・・・と思わずググってみるとこの間シェークスピアまとめでつかったオフィーリアの絵が!

今回はラファエル前派をちょっと調べてみる.

 

ラファエル前派ってなに

調べるときはまずはwikipedia.参考文献に絶対にしてはいけないwikipedia

ラファエル前派(ラファエルぜんぱ、Pre-Raphaelite Brotherhood)は、19世紀の中頃、ヴィクトリア朝イギリスで活動した美術家批評家(また時に、彼らは詩も書いた)から成るグループである。19世紀後半の西洋美術において、印象派とならぶ一大運動であった象徴主義美術の先駆と考えられている。ーwikpediaより

なるほど.Pre-Raphaelite Brotherhood. 

 

もうちょっと調べないとよくわからないので調べると,

1848年にイギリスのロイヤル・アカデミー付属美術学校の学生であった

・ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ

・ウィリアム・ホルマン・ハント

ジョン・エヴァレット・ミレイ

の3人の画家によって結成された集団だそうだ.その後批評家とか彫刻家とかいろいろはいってきて最終的には7人になった.

ラファエル前派の「ラファエル」はイタリア・ルネサンスの古典主義の完成者のラファエロのことを指す.このラファエル前派のひとたちがアカデミーの生徒だったころはこのラファエロが芸術の規範になっていた.

しかし,彼らはこれには反対していて「ラファエロ以前」すなわち中世や初期ルネサンスの芸術を範としたそうだ.彼らはラファエロの絵は劇的すぎてわざとらしいと,飽き飽きしていた.実際は、ラファエロ以後の絵画の影響もかなり大きかったそうだがとにかくラファエロ嫌いだった.

brotherhood という言葉は宗教的結社を指すもので,美的な信条を共にする集団という着想をナザレ派から得た.

 

ナザレ派とは19世紀初頭のドイツロマン派の画家たちによる、キリスト教美術の誠実性と精神性を取り戻そうとする芸術運動である。ナザレ派という呼び名は、彼らが聖書に忠実な衣服や髪型を好んだことに対する、周囲からの侮蔑的表現に由来する。-wikipediaより

 

彼らの作品は劇的でロマン主義的な絵画で人気を得たらしい.結局美を追求し,込み入った写実は様式的にはラファエロのものと同じであったらしいが理念的には、象徴派へとつながっていく.

ギリシャ神話やアーサー王の伝説,シェークスピア,キーツの詩などから主題を借り,好んで描いた.

 

なるほど,ちょっとわかった気がする.となると楽しむにはギリシャ神話とかアーサー王の伝説,シェークスピアの作品とかを勉強したほうが良さそう.

「あーあのシーンかあ」と昔の人は想像しながら絵を楽しんだのだろうか.僕は美術館は結構退屈に過ごしてしまう人(でもひと月に一回はどこかいく)なのでちょっとずつこういうこと覚えていきたいものである.

ちょっと調べてみたあとに今回のラファエル前派展のキャッチ「それは懐古か反逆か」をみると頷ける.

 

おわり